12月
30
「あまり愛されなかったと思うの?」
彼女は首を曲げて僕の顔を見た。そしてこくんと肯いた。「『十分じゃない』と『全然足りない』の中間くらいね。いつも飢えてたの、私。一度でいいから愛情をたっぷりと受けてみたかったの。もういい、おなかいっぱい、ごちそうさまっていうくらい。一度でいいのよ、たった一度で。でもあの人たちはただの一度も私にそういうの与えてくれなかったわ。甘えるとつきとばされて、金がかかるって文句ばかり言われて、ずうっとそうだったのよ。それで私こう思ったの、私のことを年中百パーセント愛してくれる人を自分でみつけて手に入れてやるって。小学校五年か六年のときにそう決心したの」
「すごいね」と僕は感心して言った。「それで成果はあがった?」
「むずかしいところね」と緑は言った。そして煙を眺めながらしばらく考えていた。「たぶんあまりに長く待ちすぎたせいね、私すごく完璧なものを求めてるの。だからむずかしいのよ」
「完璧な愛を?」
「違うわよ。いくら私でもそこまでは求めてないのよ。私が求めているのは単なるわがままなの。完璧なわがまま。たとえば今私があなたに向って苺のショート・ケーキが食べたいって言うわね、するとあなたは何もかも放り出して走ってそれを買いに行くのよ。そしてはあはあ言いながら帰ってきて『はいミドリ、苺のショート・ケーキだよ』ってさしだすでしょ、すると私は『ふん、こんなのもう食べたくなくなっちゃったわよ』って言ってそれを窓からぽいと放り投げるの。私が求めているのはそういうものなの」
「そんなの愛とは何の関係もないような気がするけどな」と僕は愕然として言った。
「あるわよ。あなたが知らないだけよ」と緑は言った。「女の子にはね、そういうのがものすごく大切なときがあるのよ」
「苺のショート・ケーキを窓から放り投げることが?」
「そうよ。私は相手の男の人にこう言ってほしいのよ。『わかったよ、ミドリ。僕がわるかった。君が苺のショートケーキを食べたくなくなることくらい推察するべきだった。僕はロバのウンコみたいに馬鹿で無神経だった。おわびにもう一度何かべつのものを買いに行ってきてあげよう。何がいい? チョコレート・ムース、それともチーズ・ケーキ?』」
「するとどうなる?」
「そうしてもらったぶんきちんと相手を愛するの」
「ずいぶん理不尽な話みたいに思えるけどな」
「でも私にとってはそれが愛なのよ。誰も理解してくれないけれど」と緑は言って僕の肩の上で小さく首を振った。「ある種の人々にとって愛とはすごくささやかな、あるいは下らないところから始まるのよ。そこからじゃないと始まらないのよ」 ノルウェイの森(上)
彼女は首を曲げて僕の顔を見た。そしてこくんと肯いた。「『十分じゃない』と『全然足りない』の中間くらいね。いつも飢えてたの、私。一度でいいから愛情をたっぷりと受けてみたかったの。もういい、おなかいっぱい、ごちそうさまっていうくらい。一度でいいのよ、たった一度で。でもあの人たちはただの一度も私にそういうの与えてくれなかったわ。甘えるとつきとばされて、金がかかるって文句ばかり言われて、ずうっとそうだったのよ。それで私こう思ったの、私のことを年中百パーセント愛してくれる人を自分でみつけて手に入れてやるって。小学校五年か六年のときにそう決心したの」
「すごいね」と僕は感心して言った。「それで成果はあがった?」
「むずかしいところね」と緑は言った。そして煙を眺めながらしばらく考えていた。「たぶんあまりに長く待ちすぎたせいね、私すごく完璧なものを求めてるの。だからむずかしいのよ」
「完璧な愛を?」
「違うわよ。いくら私でもそこまでは求めてないのよ。私が求めているのは単なるわがままなの。完璧なわがまま。たとえば今私があなたに向って苺のショート・ケーキが食べたいって言うわね、するとあなたは何もかも放り出して走ってそれを買いに行くのよ。そしてはあはあ言いながら帰ってきて『はいミドリ、苺のショート・ケーキだよ』ってさしだすでしょ、すると私は『ふん、こんなのもう食べたくなくなっちゃったわよ』って言ってそれを窓からぽいと放り投げるの。私が求めているのはそういうものなの」
「そんなの愛とは何の関係もないような気がするけどな」と僕は愕然として言った。
「あるわよ。あなたが知らないだけよ」と緑は言った。「女の子にはね、そういうのがものすごく大切なときがあるのよ」
「苺のショート・ケーキを窓から放り投げることが?」
「そうよ。私は相手の男の人にこう言ってほしいのよ。『わかったよ、ミドリ。僕がわるかった。君が苺のショートケーキを食べたくなくなることくらい推察するべきだった。僕はロバのウンコみたいに馬鹿で無神経だった。おわびにもう一度何かべつのものを買いに行ってきてあげよう。何がいい? チョコレート・ムース、それともチーズ・ケーキ?』」
「するとどうなる?」
「そうしてもらったぶんきちんと相手を愛するの」
「ずいぶん理不尽な話みたいに思えるけどな」
「でも私にとってはそれが愛なのよ。誰も理解してくれないけれど」と緑は言って僕の肩の上で小さく首を振った。「ある種の人々にとって愛とはすごくささやかな、あるいは下らないところから始まるのよ。そこからじゃないと始まらないのよ」 ノルウェイの森(上)